あなたたち、私たち

 どうも。ご無沙汰しております。

そろそろ日本語でoutputしないとまずいなと思いますので、書きます。まず、テープ起こしのお仕事で気づいた面白いことから書いてみたいと思います。

日本人記者が中国の湖北省で取材したテープを聞き起こしている時に、中国人の通訳さんのある言葉に思わず「耳」を丸くした(耳を丸くしてもしょうがない。できないし)。

例えば、日本人記者が「おうちではイタリアの包丁を使いますか?」と質問するとしよう。その通訳さんは「咱們家裡用義大利的菜刀嗎?」という風に訳す。それをまた日本語に訳すと、「私たちは家ではイタリアの包丁を使いますか?」になる。かなり奇妙でしょう。グロスをつけてみよう。


咱們   家裡   用  義大利  的 菜刀  嗎?
私たち 家の中  使う イタリア  の 包丁 (疑問を表す語尾助詞)


中国語は主語をいちいち言わなければならない言語だけど、インタビューする側を代表する通訳さんは「你們家裡用義大利的菜刀嗎?」(あなたたちは家ではイタリアの包丁を使いますか?)と訳すはずだと思う。

でも、その通訳さんがこういう場面で必ず「私たち」を使う。しかも、聞き手を含んだり含まなかったりする「我們」(私たち)じゃなくて、必ず聞き手を含む「咱們」(私たち)だった。初めて聞いた時すごく違和感を覚えたんだけど、インタビューを受ける中国人のカップルはまったく自然な感じで、顔に「?」を一つも出さずに通訳さんとやりとりをしていた。

その通訳さんの個人的習慣なのか、湖北省の特別な言い回しなのか、あるいは中国大陸共通の使い方なのかちょっと分からない。でも、その通訳さんはたぶんインタビューを受けるカップルに親近感を持たせて、距離を無くしたい思いがあるのではないかと思う。

この感想を台湾のブログに書いたら、ある出版社の編集者からこのようなコメントを頂いた。

「その日本人記者の仲間だと思われないように、あえて『私たち』を使うじゃないの?」

そっか。なるほど。それも言えるかもしれないな。でもやっぱりおかしいな、「私たちは家ではイタリアの包丁を使いますか?」って。私ならきっと反射的に(自然に)「あなたたち」と訳すと思う。



そして、さっきの話と全然関係ないですけど、うちは免許を取ることにしました。

別に車が欲しいわけではなく、取っておくといつか役に立つでしょうという線で決めました。もちろん、私にとって台湾の免許を持つ人が知識・技能試験なしで日本の免許に切り替えられる点が大きいですね。わずか数千円で日本の免許を手に入れられるならそれは取るでしょう。でもうちの奥さんはそう簡単にはいきません。日本人なので、きちんと教習所に30万円ぐらいを払ってせっせと通わなければならなりません。

なんで日本で免許を取るのにそんなにお金がかかるのか私は理解できない。環境を守りたくて車の使用を抑えたいのかな(車にかかわるあらゆる費用も馬鹿馬鹿しいぐらい高い)。私は大学四年生の時に9000元の一番安いコースで免許を手に入れた。台湾で大卒新人の初任給の1/3ぐらいだった。取っといて良かった。

うちの奥さんは方向感覚がとても良いけれど、車を運転するセンスがまったくないみたい。初めての実車運転でハンドルを両手でうまく回せなくて、苛立ちを見せ始めた女性の教官に洗面器で練習してくださいと言われた。両手でハンドルを回すのが何か難しいのか私はさっぱり分からないけど。

うちの洗面器が大きすぎるため、うちの奥さんはちょうどいいサイズの鍋を練習の道具にした。奥さんを笑ってはいけませんって分かっているんだけど、布団の上にどかーんと座って深刻な顔で鍋をくるくると回す姿があまりにもおかしかったので笑ってしまった。でも鍋回し練習が効いたらしくて、次の実車運転がうまくいったそうです。ハンドルをうまく回せなくて困っている方は是非おうちの洗面器か適宜な鍋で練習してみてください。中華鍋だけはやめたほうがいいと思います。

今日はとりあえずここまで。おやすみなさい。

コメント

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のさん
こんにちは。相手のことを「自分」と言う使い方は、小さな男の子を「僕」と呼ぶのとなんらかの関連性があるのでしょうね。興味深いです。

初めまして のさんといいます。
大阪では「お前」「あんた」と言う時に 相手のことを「自分」と言う使い方があります。また自分のことを「俺」的な使い方で「わい」と言う人もいますが、九州では男性が友人などに「お前」と言う意味で「わい」と使う地域があります。